「同時通訳の神様」と呼ばれた人物がいる。國弘正雄(くにひろ まさお)、1930年生まれ。日本が生んだ最高の英語使いのひとりだ。
彼の英語学習歴は、帰国子女でも海外育ちでもない。中学1年生から、日本で、独学に近い形で始まった。そこから「同時通訳の神様」と呼ばれるまでになった人物が残した言葉は、英語を学ぶすべての人にとって、今も示唆に富んでいる。
■神戸の少年が英語に目覚めた理由
國弘は東京都北区に生まれた。父の転勤で神戸一中(現・兵庫県立神戸高校)に転校し、そこで終戦を迎えた。神戸空襲で親しい知人の最期を看取った彼は、強い反戦思想を持つようになる。
中学時代、彼は新渡戸稲造の伝記を読んで深く感動した。日本と世界の橋渡しをしたいという新渡戸の生き方に憧れ、英語の猛勉強を開始する。方法は愚直なものだった。英語の教科書を、ひたすら何百回も音読する。それだけだ。
さらに彼は、神戸に進駐していた米英豪各国の兵士に片っ端から英語で話しかけ、教科書の音読を頼んで発音を学んだ。教室の外に飛び出し、生の英語と格闘した。この経験が彼の英語の土台をつくった。
■「同時通訳の神様」への道
1955年、ハワイ大学を卒業して帰国。予備校講師を経て、日本生産性本部と米国国務省の文化交流計画に加わり、ワシントンD.C.に常駐スタッフとして赴任する。訪米した日本各界の要人に随行し、全米各地を回った。
1965年、日本初の会議通訳エージェント「サイマル・インターナショナル」の設立に参加。同時通訳者として頭角を現し、1969年には「アポロ11号の月面着陸」のテレビ中継番組でライブ同時通訳を担当し、その名を広く知られるようになった。「同時通訳の神様」「日本のライシャワー」と称されるまでになった彼は、その後、上智大学・東京国際大学・お茶の水女子大学などで英語教育にも力を注いだ。三木武夫内閣では外務省参与として先進国サミットの外交交渉の舞台にも立った。1989年には参議院議員に当選し政界にも転身している。
■「只管朗読」が生まれた背景
これほどの経歴を持つ人物が提唱した英語学習法は、驚くほどシンプルだった。中学レベルの英文を、500回から1000回、ひたすら音読する。それだけだ。
この「只管朗読(しかんろうどく)」という言葉は、曹洞宗の教え「只管打坐(しかんたざ)——ただひたすら座禅を組む」からもじって名付けた。余計なことを考えず、ただひたすら繰り返す。それが彼の核心にある考えだった。
彼は著書『英語の話しかた』の中でこう書いている。「英語を習得することに漠然と憧れはするが、これといった成果を上げられない人というのは、基本技術の習得に関して見通しが甘すぎるのです」と。
文法を知識として知っていても、英語は出てこない。体に染みこませるまで繰り返さなければ、使えるようにはならない。これが彼の立場だった。
■繰り返しは、なぜ効くのか
國弘が指摘した本質は、英語学習に限らない。「知っている」と「使える」の間には、大きな溝がある。その溝を埋めるのは、繰り返しによる訓練だけだ。
音読の場合、同じ英文を何百回も声に出すことで、文の構造や表現が無意識の領域に落ちていく。考えなくても出てくる状態をつくる。これが彼の目指した地点だった。
英訳の場合も同じ原理が働く。日本語を見て英語に変換するプロセスを繰り返すことで、変換の回路が強くなる。最初は詰まっていた文が、ある時点からスムーズに出てくるようになる。量をこなすことでしか、その地点には到達できない。
■「訓練が足りない」という言葉の重さ
國弘はこうも言った。「日本人は文法が原因で英語ができないと言われるが、事実は全く逆だ。まだまだ訓練が足りないのが真相だ」と。
多くの人は、新しい勉強法を探し続ける。アプリを変え、教材を変え、学習法を変える。しかし問題は方法ではなく、繰り返しの量だ。國弘自身、中高生の頃に英語の教科書を2000〜3000回音読していたという。その量の前では、大半の学習者の「繰り返し」はまだ始まってもいないかもしれない。
2014年11月、國弘正雄は84歳で亡くなった。しかし彼が残した「繰り返しの哲学」は、英語学習の本質を突き続けている。
日本語を見て、英語に直す。その一動作を、飽きるほど繰り返すこと。遠回りに見えて、それが最短だ。